言論と経済 2009 11 15

言論では食べていけないのか。

書名 ネットビジネスの終わり
著者 山本 一郎  PHP研究所

まずは、気になったところを引用しましょう。
(以下、引用)
第二章
瀕死のメディア産業
 欧米の新聞社では、さまざまな合理化努力を進めるにあたって、
先進的な失敗事例をたくさん集積している。
(中略)
 ある高級紙は、新聞事業において紙媒体の効率の悪さが、
全社的な収益を圧迫していると判断し、
紙による新聞紙発行を諦め、全面的にウェブにシフトしてしまった。
 ウェブ単体であれば十分黒字が見込めたし、
輪転機やスタンドへの配送コストを考えると、
減り続ける新聞購読者の将来見通しでは事業の存続が危ないと考えたのである。
 ところが、結果は惨憺たるものであった。
新聞紙の印刷をやめた、この新聞社は、
ウェブの閲覧者自体も、ほぼ5分の1にまで下落してしまい、
頼みのウェブ部門さえ赤字に転落してしまった。
 読者は、新聞社としてのブランドを信頼して
ウェブに足を運び、記事を読み、
そこのサイトで物販を利用していたのである。
 新聞社のブランドというものは、
活字を読むリテラシーを持つ人が、
駅のスタンドや小売店で実際にマテリアル(紙)の新聞を買い、
記事を読むことで醸成されるようだ。
たとえ赤字であったとしても、彼らは、その新聞を買い支えようとする。
 ウェブだけになった新聞社は、信頼されるブランドとしては、
すでに新聞ではなくなっている。
 ウェブが黒字であるから、尋常な経営判断として、
赤字の新聞をやめたいというのは、まことに道理に適った判断ではあるが、
その赤字の新聞紙を削ったら、
黒字のウェブに人が流れてこなくなってしまった、
というのは新聞業界の再編を考えるのに、
極めて重大な戦訓であり、ジレンマであると言える。
(以上、引用)
 この章には、欧米のメディアが、
実に様々な経営努力に取り組んだ事例がでてきます。
しかし、どれも、期待した結果は出なかったのです。
 やはり、「言論では食べていけない。
娯楽で食べていくしかない」ということかもしれません。
 その見本として、テレビがあります。
テレビは、一応、メディアに分類されますが、実態は、99%娯楽です。
メディアというよりは、遊園地に近いと思います。
 業種分類としては、
テレビは、メディアより遊園地に分類した方が実態に合っていると思います。
経営分析をする上で、テレビをレジャー産業に分類しておいた方が、合理的だと思います。
 数少ない報道番組ですら、娯楽性・話題性を重視し、
その実態は、スポーツ新聞や女性週刊誌に近いと思います。
 これが「大衆化」の負の側面だと思います。
何とかならないものか。
言論で食べていけるようにできないか。

書評 book review 「TV」 2007 4 30

書 名 テレビは日本人を「バカ」にしたか?
     大宅壮一と「一億総白痴化」の時代
著 者 北村 充史
出版社 平凡社新書

 最近の低俗なテレビ番組を批判する時に、
よく使われる有名な台詞、
「日本人、一億が総白痴となりかねない」という言葉について、
「テレビの歴史」という視点から論じた本です。
 この本で興味深いのは、若き日の田中角栄郵政大臣が登場することです。
「低俗番組追放と放送法の改正」というところで、
田中角栄郵政大臣の発言が出てきます。
(以下引用)
 「最近巷間にテレビジョンは、
一億総白痴化するものであるなどと言われているのは、全く遺憾でありまして、
わたくしは、テレビジョン放送局の予備免許をいたした際にも、
じゅうぶん、この点に留意し、各放送会社に対し、
番組の編成にあたっては、娯楽に偏重しないように、
教育教養をも、じゅうぶん考慮すべきことを要望した次第であります」
(「キネマ旬報『テレビ大鑑』に寄せる」)
 「商業放送に対しては、全放送の三十パーセントを、
教育・教養番組にあてるよう条件をつける。
娯楽や青少年番組は午後十時までに終わらせる。
これらを守るべく、各放送局は自主的に放送番組審議会を設けるべきだ」
朝日新聞 昭和三十二年八月二十一日付
 「一億総白痴化」の元凶である低俗番組、俗悪番組をなくして、
青少年を保護すべきというのが行政のもうひとつの課題だった。
(以上引用)





































































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